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2007-05-11
カザルス聖地巡礼 07:17:31
偉大なるチェリスト、音楽家パブロ・カザルスは、1876年12月29日にカタロニア(スペイン)のエル・ヴェンドレルという村に生まれる。カタロニア語では、パウ・カサルスと発音されるが、カザルスは生涯自分をカタロニア人と言っていた。ヴェンドレル村を訪れて一層確信を持ったが、この音楽史上に傑出する大音楽家は、そのルーツであるカタロニアを生涯愛して止まなかった。それは、カザルスの作品である、「鳥の歌」、「3つの愛の歌」や合唱曲「エル・ペッセブレ」を聴いても痛いほどわかる。そのカザルスが、フランコ独裁政権に断固たる態度をとり、スペインに民主政治が戻るまで亡命生活をとることを選び、同時にそのフランコを認める諸国での演奏活動を中止し、結局1939年以来、生涯(96歳で亡くなった!)愛してやまないカタロニアへ帰らなかったことを考えると、それがいかに強い意志と自らの良心に従ってなされた行動か、ということが胸に迫る。
僕は、高校の頃初めてカザルスを聴いた。当時はもう亡くなっていた祖父が大のカザルスファンでLPレコードをたくさん遺してくれていたので、それを借りて来て自宅のターンテーブルに載せてバッハの無伴奏組曲第1番のプレリュードがスピーカーから流れてきた時の感動は、今でも忘れない。あの時の感動こそが、結局今こうして僕が曲がりなりにも音楽家になって活動していられる原点だったのだ。そう、カザルスは僕の人生を変えた、といってもいい。当時、僕は思春期ならではというのか、とにかく人生の意味について毎日考えこんでおり、これからの自分は一体どうなっていくんだろうか、と日々自問自答していた。音楽に傾倒して行く自分がいる一方、当時僕は音楽の専門教育を受けていなかったし、音楽家になる選択肢など自分にはないと思っていた。それでも、「何かが自分の人生には欠けている」何故かそう思っていて、やみくもに音楽を聴いていた。自分でベースもぼちぼち弾き始めてはいたが、とにかく自分の心に足りない何かを埋めたくて、音楽をひたすら聴いた。そんな日々の中、初めてカザルスの演奏を聴いた時、その音に音楽に圧倒され、心から共感し感動すると同時に、それまで自分なりに人生に悩んで悩んで頑張ってきた、その力みのようなものが一気にほぐれ、大げさだが人生に光がさしてきた気がした。その日以来、祖父のレコードを片端から借りてきてはカザルスを来る日も来る日も聴き続け、最初に受けた「これだ!」という直感的な感動は、程なく絶対的な確信に変わった。僕が音楽家を志そうと決めた理由は、これだけだ。音楽家になって食べられるようになるとも思えなかったし、まったく自信はなかった。が、とにかくこのカザルスの音楽を少しでも理解したい、ここには何だかわからないけど人間の真実がある、一度しかない自分の人生、この確信を無視して生きていくことなどできようか?などと考えたあげく、未熟ながらも決意した。音楽の道を志そう、と。今思い出しても、この頃の「勢い」というのは凄かった。それまで散々迷っていただけに、こうと決まったらまったく迷いがなくなった。結局その勢いのまま、アメリカへ留学し、仕事をし、今こうしてヨーロッパにいる、というわけだ。まったく若い頃に受ける感動の力というのは半端じゃない。
カザルスから学んだこととはなんだろう。カザルスとは友人でもあったヴァイオリンの巨匠フリッツ・クライスラーは、カザルスを評して「弓の王者」と言ったが、まずその「音」そのものが全てを物語っている。僕の稚拙な文章力では、「魂の音」としか形容できない。そして、当時の歌手達までがカザルスのコンサートに学びに来たという「歌い方」(普通は器楽奏者が歌手の歌い方を学ぶものですが)、バッハ、ベートーヴェン、シューベルトといった天才達の音楽に対する謙虚な姿勢、ひとつのフレーズの中におけるニュアンスのつけかた、クレッシェンドにおけるあの音の伸び、などなど音楽家として直接学んだことは数知れないが、今回サンサルヴァドルにある、僕にとっては聖地とも言える、旧カザルス邸である記念館を訪れて特に思ったのは、「音楽のもつ力と価値」についてだ。もちろん世の中にはエンターテインメントのための音楽もあるし、芸術音楽だけが音楽ではないが、芸術音楽のもつ「力」、それをカザルスほど自信に満ちて教えてくれる人はいない。カザルスの朝は、いつも散歩から始まったそうだ。自然とふれあい、そしてカザルスにとっては祈りでもあったバッハの平均律2曲をピアノで弾く。それからチェロの練習に入ったそうだ。気負うことなくただ毎日音楽に命をかけて真摯に向っていた巨匠の姿が目に浮かぶ。そう、今回あらためて、音楽の持つかけがえのない「価値」に気付かされた。ヒューマニティへのゆるぎない信頼がカザルスの演奏には、どうしようもなく溢れている。同じことは、バッハ、ベートーヴェン、シューベルトなど音楽史に残る創造の天才達の作品にも言えるが、真の芸術の与えてくれる精神の高揚、魂の高揚、これこそが音楽の持つ力の作用であり、価値なのだ。
カザルスが演奏家として世界的な名声を博して後(といっても、まだ30代だったが)故郷に程近い海岸に建てた旧カザルス邸で、バッハのレコーディングを聴いたり、様々な映像を見たり、窓越しの海を眺めながら、この真の芸術的高揚感を味わった。カザルスが最後の国連演奏会で、「私の故郷の鳥達は、ピース(平和)、ピース、ピース、と鳴きます。」と言って「鳥の歌」を演奏する時、僕は悲しさよりも、そのヒューマニティへの信頼の強さに勇気づけられる。自然を愛し、人間を愛し、音楽を愛したカザルス。その人間としての途方もない大きさにふれたような気がして、サンサルバドルでは何度も目頭が熱くなった。

2006-10-22
リサイタル 2006.12.15 16:38:16
ぼちぼちリサイタルの準備を始めている。
日本での演奏が初めてとなる曲がいくつかあるが、特にベートーヴェンは楽しみだ。最近、リサイタルには一曲大きなソナタを入れて、あとは小品や少し短めのものにしている。そのうちソナタだけのリサイタルもやりたいし、一度は無伴奏のリサイタルも是非実現させたい。今回はひとつの試みとして、前半にコントラバスのオリジナル作品を集めてみた。
シュペルガーのAdagioで始める。始める曲にはいつも神経を使う。去年のバッハのアリオーソもそうだったが、ゆったり歌うタイプの曲だ。僕はいつも内面に入っていくような空気を最初に作りたいので、これに決まった。これは正真正銘自分が初めて取り組む曲。シンプルな曲だ。
続いて無伴奏のフリーバAllemande&Gigue。コントラバス弾きの間ではよく知られている難曲。全部やると長すぎてお客様が帰ってしまうおそれ(?)もあるので、今回は2曲抜粋で演奏する。なぜこの2曲かというと、僕が唯一手がけた2つの楽章だから。94年のフランスのコンクールで1次の課題曲のひとつだった。それ以来の演奏だから、12年ぶりか。日本での演奏は初めて。この曲が作曲されたのは20世紀だが、「古典スタイル」という副題が示すようにバッハのチェロ組曲を手本にして書かれている。ほとんどのベーシストがロマンティックなスタイルでこの曲を演奏するが、僕はスタイルに敬意をはらい、バッハの時代の曲として演奏する。ちなみにフリーバは(確か)スイス人であったと思う。
次がボッテシーニ2曲。一転してものすごくロマン派的スタイルの音楽だ。エレジーD-durとAllegretto capriccio。エレジーはもう何回も演奏してるし日本でも弾いているが、もうひとつは僕のとって初めてで、昔芸大のTさんが僕の夏の講習会で弾いているのを聴いて知った曲。もうずいぶん昔の話だが、その時の演奏もとてもよく曲もよかったのでそれ以来ずーっといつかやろうと思っていた。まっさらの譜面を前にひとつひとつ音を読んでいき、少しずつ音楽の全体像が見えてきて自分の演奏したい方向がはっきりしてくる。このような作業は楽しい。はじめての土地を旅行するようなものだ。ついでにミスプリントを数多く発見。ピアノスコアを見て直したのでおそらくもう大丈夫。
前半最後にグリエールのIntermezzo&Tarantella。これは今まで何度も演奏してきたが、最近弾いていなかったので新鮮だ。東京では96年のリサイタルで演奏したのが最後か。数多いコントラバス曲の中にいくつかある秀でた作品で、名手クーセヴィツキーのために書かれたと聞く。楽器の特性をとてもよく把握して書いており、ソナタくらい書いてほしかった。ロシアの音楽というのはコントラバスと相性がいいと思う。
ここで休憩をはさんで、いよいよ真打ベートーヴェン。チェロソナタ第3番a-dur作品69。音楽ファンだったら誰でも知っているくらい(?)有名な名曲。コントラバスで弾くのはもちろんたいへんだが、ベートーヴェンのチェロソナタ(おそらく2番)はコントラバスの名手ドラゴネッティがベートーヴェンの前で弾き、それをベートーヴェンが賞賛したという記録が残っている。ドラゴネッティの演奏は、のちのち第9のようなコントラバスの積極的な使い方をするようになったひとつの要因だとする意見も聞いたことがある。僕はこの話を聞いて、それならベートーヴェンのチェロ曲を弾いても誰にも文句は言われないなと思い、学生時代にこの3番をまず勉強した。なんといっても作曲家本人がコントラバスによる演奏を認めたのだから。まあベートーヴェンに関しては、また機会をあらためて書いてみたい。とにかく素晴らしい作品だ。日本での演奏は初めて。
コンサート最後はサン・サーンスのAllegro appassionato。コントラバス奏者による編曲もでているが、僕はチェロの譜面を使う。他のコントラバス奏者が編曲したものというのは気に入らないことが多い。多くの場合、技術の都合を作品より優先しているように見受けられる。編曲にはセンスと作曲家に対する尊敬と理解が不可欠だ。この曲は実質的に僕にとって初めて。これも学生時代に当時よく一緒に演奏してもらっていたS君とあわせたことがある程度で、演奏会で弾いたことはない。

以上ざっとプログラムのご紹介をしてみた。

2006-09-24
またベルン 03:51:08
掲示板に始まりベルンづくしで申し訳ないが、もう少し街での印象などなども書いてみたい。
我々のアパートは市街からバスに乗って10〜15分のところにあるが、仕事の有無にかかわらず毎日のようにバスに乗って街に出かけている。市街に入る直前にアーレ川というベルンの3方を囲むように流れている美しい川を渡るが、これがエメラルドグリーンのなんともいえない色で毎回感心して見とれている。海ならわかるが、川がなぜこのようなきれいな色になるのか仕組みは知らないがとにかく美しい。その橋から市街が見える。以前にも書いた気がするが、中世そのままの赤い屋根の町並みが視界に入る。運が良いとこの橋からアルプスが見え、それはそれは壮大な気持ちにさせてくれる。
街はすべて歩いていける範囲内にあるというのがよい。古い町のよさだ。またベルンは独特のアーケードが歩道についていて(これも古い建物の一部)雨に濡れない仕組みになっている。昨日読んだ塩野七生氏のエッセーにフィレンツェを評して、「街中は歩いて事のすむ、いわゆる人間の寸法にあった街なのである。」というのがあったがまさにそれだ。
地元の人間は適度に田舎すなわちのんびりしている。ほとんどの人が親切。訛りがきついので何を言っているかわからないにしても(訛りがなくてもほんとはわからない!)、今のところ不快な思いは一度もしていない。基本的にものすごく勤勉である印象。それぞれが自分の持ち場の仕事をちゃんとやっている。銀行員からバスの運転手まで。その結果社会全体がスムーズに機能しているのではないか。最近はちょっと疑問を持つ場面が多いが、日本と本質的にここは共通していると思う。日本は最近そのよさが急激に失われつつあるように思えるのだが大丈夫だろうか?底辺の連中がまるで仕事のできない、そしてその結果生活が円滑に動かないアメリカとは大違い。もちろんアメリカのような低賃金労働はなく、その結果物価は高いにしても、文化としてはるかに高級だ。
ここに来てまだ何日も経っていないが、色々なことを考えさせられる。たとえば「時間」。今はまだ陽が長いせいもあるが、日本やアメリカにいるときよりもゆったりと時間が流れる気がする。そしてそれと同時に現在という時間、今日という日を大切に生きようという気持ちに何故か自然になれる。これは妻も同感らしいからあながち勘違いではなにのではないか。やはりこの背景にはヨーロッパの長い歴史の営みから人間が作り上げてきた文化があり、その何千年という営みが現在の社会のどこかに行き渡っていて、人々がその伝統を自然体で(ここが大事。無理していない)受け継いでいるからではないか。そしてこの中で生まれ育まれてきた音楽というものについても今までと少し違ったある種の感情を持って付き合っていけそうだ。
着任早々早くもヨーロッパかぶれかよ、という声が聞こえてきそうだが、まあ今の正直な感想なので書いてみた。12月にはまた日本に戻り東京でリサイタルがある。また新たな「何か」を音楽に込めることが出来るとうれしい。

2006-05-03
Pablo Casals 07:40:28
カザルスを久々に聴いた。いくつか聴いたけれども、特にシューベルトの弦楽五重奏C-dur、ヴェーグカルテットとのライブ録音(フィリップス)が懐かしかった。
あらためてカザルスの偉大さに頭が下がる。その大きな音楽!音楽の持つ力がここまで強いことをカザルスほど示せた人はいないのではないだろうか。カザルスを聴くといつもそうだが、音楽の原点に帰ることが出来る。彼はいっている、「我々は音楽の持つ意味を探し求めねばならない。そして、それは演奏家が音楽に対して誠実に謙虚に接してはじめて見つかるものだ。」まったくカザルスほどその長い96年という生涯でそれを一貫して示し続けた演奏家はいないと思う。
何度もいろいろなところで書いているが、10代の頃にはじめてカザルスのバッハを聴いた時の衝撃は忘れられない。バッハのみならず、シューマン、ベートーヴェン、ブラームス・・・。音楽とは生への讃歌だと思うが、それを教えてくれたのはカザルスだった。命というもの、人生というもの、自然というもの、宇宙というもの、その延長にある音楽。それを死後30年たっても変わらず示し続けているカザルス。まったく頭が下がる。
スズキメソードの創始者である亡き大叔父の鈴木慎一が、レコードを通じてカザルスに心酔し、後に松本でカザルスと初対面した時に、「私はあなたの弟子です。」と言ったらしいが、まったく同感だ。先生の許可もなく弟子になることはできないはずだが、できることなら僕も弟子の末席においてほしいと思う。

2006-03-10
入団試験その2 00:03:37
そして1次の結果発表。僕と同じ年くらいのきれいな女性が発表(あとで事務局長と判明)。僕ともうひとりの二人だけが次のラウンドに進むことになった。時間はもう昼時だったので、ランチ休憩でもとるかと思いきや、すぐに次のラウンドが始まるという。曲目はオケスタのみ。やや以外に思うが、特に不安はなし。言われたものを弾くのみだと思う。もうひとり選ばれたいってみれば敵のことは全然視野に入らず、気にならない。自分がベストを出すということにのみ気持ちが自然に集中できた。
順番は彼のほうが先。オケスタはアメリカで散々鍛えられてきたから、今回は正直重視せずにあまり練習時間をさかなかったのだが、負けるとは思わなかった。彼が終わり、ステージへ。ちなみに1次も2次もカーテンつきなので、審査員達にはこちら側が見えないようになっている。始めは、ハイドンの31番からベースソロの部分。これも今まで散々やってきた曲。とても効果的に書かれているソロで、演奏会ではあまり取り上げられないのが残念な曲だ。出来は上々。最後のスピッカートもきれいに決まる。次はシュトラウスの『英雄の生涯』。オケスタといえば必ずはいってくる難曲。ただしこれもよく知っているので動揺せず。1箇所音がはっきり出なかったが、中でも一番の難所である上の"C"は2回とも決める。ソロ弦で弾いているため違和感があるが、一音高い分、音の明瞭さは増していてそれはそれでよかった。そしてヴェルディのオテロの有名なベースのソリ。オペラの終わりの方に出てくる、あのなんとかいう男がヒロインの寝室に猜疑心の飽和状態で入ってきて、ベッドで寝ている彼女を殺そうかどうしようか、と葛藤する場面です。初めてあのオペラを弾いた時には前の場面(最高に美しいソプラノのアリア)から一気に奈落に落とされるような音楽的場面転換の見事さに舌を巻いたものだ。
話がそれた。これもソロ弦であることと、本来はミュートが指定なのだが試験ではなしであったため、自分の思うほどダークな音色が出せなかったと思うが、それは向こうの指定だし、相手も同じ条件。結果は上でき。ピアノの出だしから、最後フォルテでスピッカートになり最後の2音で終えるまでよい対比が作れた。音程もはずさず。
最後がプロコフィエフの『キージェ中尉』に出てくるロマンスという楽章のソロの部分。Gmollのシンプルなメロディー。出来はまあまあ。もっとビブラートが豊かにかかるとよりよかったのだがあとの祭。
そして発表。例のきれいな女性が出てきて、また二人次のラウンドへ進む。「なんだよ、うっとおしいなあ。オレだけ残さないのかよ?」などと少し図に乗る気持ちがよぎるが、ここでふと気がつく。そもそもこのオーディションは空いてるポジションがふたつあるということを。
相手のベーシストはルーマニア人で僕よりはかなり若い。ドイツのオケのソロ首席だということ。なかなかいいやつで、英語もできる。彼女らしき人がそばにいて心配そうに見守っている。
3次はカーテンがとられ、いよいよ団員に顔見せ。またもや休憩なしでやるという。審査員の腹は減らないのだろうかといらぬ心配。時間は1時を回っている。また相手の方が先に演奏する。クーセヴィツキ−はまだ桐朋にいるころから勉強してた曲。最初は堤先生の手ほどきだった。数年前にはオケ伴でも演奏しているし、コンチェルトの中では自分にもっとも合っている曲だと思う。ピアニストとノーリハーサルというのは確かに心配だが、これも1次同様自分の音楽を100%通す決意をする。1次でピアニストがどんなタイプかはおおざっぱに把握していたから少しはピアノの反応の予想ができた。
そして本番。舞台に出てゆくと相当な数の団員がいた。弦楽器のオーディションには弦楽器のひとは全員でなければいけないそうだ。管楽器の参加は自由らしい。カーテンがとれた開放感も手伝い、気持ちはなんだか演奏会のようだ。思わず笑顔が出てしまったのには自分もビックリ。一応軽くお辞儀をしてチューニング。調弦のAが自分のほしいAより2オクターブも低い。そんな低い音じゃチューニングできないだろう?もっと高いAと手振りで示す今度はまだ1オクターブ低い。笑
前奏のテンポを指示し、Alla breveのことろもそれと同じテンポにしてくれと注文。前奏が始まり気持ちを集中すると、もうこの時点ではオーディションというよりコンサートをしているようだった。全てを出し切るつもりで演奏した。最初のカデンツァがのびのび弾けた。出だしは緊張して身体が硬いと弓の吸いつきが足らず、音楽的なタイミングも舌足らずのようになりがちだが、幸いうまくいった。2つめのカデンツァもうまく弾けて、Alla breveへ。ピアニストのテンポは少し探るようなかんじではあったが十分許容範囲内。気分よくテーマを弾ききる。今回は気持ちも手伝い、テーマの終わりの「ソーファミミー」というところはディミニエンドなしで弾ききる。次のセクションにはいる前のピアノのリタルダンドは自分の思うよりも多すぎ。迷わず少し見切り発車でこちらが先に入ってしまう。先方もすぐにそれをキャッチしてついてくる。つづく3連符のところは僕はインテンポ。16分音符に入る直前で少しルバートし、16分音符はやや速めのテンポ。終わりの「シ−ファーファーシシー」というところは思い切りルバート。最後のシのビブラートがいまひとつ。ちょっと指もばててるかなと一瞬思う。ピアノのドラマチックは間奏があり最後のページへ。ここは同じようなメロディーが2度出てくるので、1回目は控えめ、2回目は思いっきり、という解釈で演奏。1回目の最高音であるFisの3の指がすこしはずれた。2回目はフォルテ、今度のFisは2の指。これは当たった。テンポをうまくストレッチして、重音のセクションへ。ここへ入る前のピアノのルバートも自分の思うよりは多すぎたので、またまた少しだけ見切り発車で最後のセクションへ。ピアニストが少し動揺しているようだったが大丈夫。こちらのペースにすぐ合わせてくれた。あとはもう弾ききるのみ。重音の音程はきっちりきめ、最後に上のミまでのアルペジオを駆け上がり、演奏を終える。
と、ここで大きな拍手!オーディションで拍手というのは初めての経験で、面食らうがこちらもコンサートのつもりで気持ちが乗っているので図にのってお辞儀をし、ピアニストにもお礼をいいステージを後にした。
その後まもなく件の美人が舞台裏に登場し、我々ふたりともおめでとうと言ってくれ、2人ともめでたくオーディションに通ったことを知る。彼とも固い握手をしお互いに祝福しあう。そうこうするうちにホールに戻りなさいと言われ、行ってみると多くの団員が残っていて握手攻め!その中にはお世話になったファゴットの坂本さんやチェロのセドラックさんもいて、抱き合ってよろこんでくれる。何人もの人たちが祝福してくれた。こんなに気持ちのよいオーディションは最初で最後だろう。

というわけで、ベルン市交響楽団のソロ首席に9月より就任することになりました。思えばアメリカに来たのが18年前。3年前のフロリダフィルの倒産騒ぎの後、実に多くのことを考えもしました。このベルンの試験を終えて通らなかったら秋には日本へ帰り一からやっていこうとも考えてました。アメリカで勉強したことは実に貴重で、今の自分があるのはそれがあったからだということは間違いないのですが、18年という長い時間のあとには、もうそろそろこの国を出たいという気持ちになっていたことも正直なところです。半分日本に帰ろうと思っていた時に思いがけずオーディションに呼んでもらってこういう結果になったということは、もしかしたら、今度はヨーロッパという土地で人生後半の音楽修行をしなさい、という天の采配なのではないかと思います。いよいよオレもヨーロッパかあ、という感慨深いものがあります。思えばヨーロッパは幼年時代5年間も過ごした場所です。母に結果を報告した所、ベルンにも家族で旅行したそうです。(まったく覚えてない)その旅行には僕の最初の音楽の先生である(ピアノ)祖母も同行していたという話もまたこういうタイミングで聞くと意味ありげに響くものです。
ヨーロッパという土地で自分を評価してくれたこのオーケストラに感謝しよい仕事をしていきたいと思います。まだ詳しいことはなにも知らないのですが、おそらくアメリカのオーケストラよりスケジュールは楽なのではないかと予想してます。なので、自分の一番大切な日本におけるソロ活動も今まで以上に充実させていけるのではないかと期待してます。今まで同様応援よろしくお願いいたします。


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